« 2010年08月 | メイン | 2010年10月 »

2010年09月 アーカイブ

生協の歴史 5

1つには恐慌のなかでの生協の経営問題、もう1つにはICAの加入資格の問題から、生協原則について数年論議が重ねられたのち、1937年にそれが世界的に確認されてきたのです。


これが最初の理念論争だったといえます。


理念論争は1960年代にいたって再燃しました。


今度はことの始まりはソ連から生じました。


ソ連邦も協同組合を広範にもち、ICAに加入しています。


そのソ連邦の協同組合から議論が起こってきたのです。


当時、ソ連はマルクス・レーニン主義という特定のイデオロギーをもっていましたが、ICAの基本原則の第5には「政治的・宗教的中立」という条項がありました。


組合は宗教だけでなく政治にも中立であって、特定の政治とか政治イデオロギーと結んではならないというものです。


この条項はソ連にとって不都合でした。


このため、1963年、ソ連から修正動議が提出され、論議ののち、1966年にようやく妥協が成立したのです。


その結果、「政治的・宗教的中立」が削除され、代わりに生協の「国際的な連帯」をうたう条項、生協は国際的にお互いに連帯していき、協力しあっていく、という条項が入ってくることになりました。

生協の歴史 6

第2次世界大戦までは、共産圏はソ連邦一国で、しかもスターリン体制を強力に推進していましたが、いまだ完全にでき上がっていたとはいえない状態で、大量の粛清のもとに国づくりをしていました。


ソ連邦という国がはっきり確立して、強大になったのは第2次大戦後です。


さらに、第2次大戦をもって、ソ連の軍隊が進駐した東ヨーロッパの国々と中国が共産圏に加わり、マルクス・レーニン主義をいただく共産圏は世界をニ分する一大勢力になりました。


ロシアとなってからも、その陸地面積は世界の3分の1に及び、人口では3分の1をはるかに越える勢力です。


中国が約11億人、ロシアが約2億7千万人、それだけで約14億人になるのです。


この共産圏でも多くの国に生協があり、それらがICAに加入してきますが、これらの国はマルクス.レーニン主義を奉じ、一党独裁という特定の政治体制をもっていたため、世界の生協が政治的中立をうたうのでは具合が悪かったのです。


つまり、政治・社会体制にかかわる問題が生じてくることになります。


これは生協にとって非常に重要な問題でした。


そして、「中立」原則が背後に退き、妥協が成立ます。


いわゆる「ロッチデール原則」の修正によって新しい原則ができあがったのですが、これも生協のあり方にかかわる理念問題でした。

About

2010年09月にブログ「安心百科」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2010年08月です。

次のアーカイブは2010年10月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り

iPhone修理

通販コールセンター

EC&通販専門のコールセンター会社に、無料で複数の見積が取れる一括見積サイト「EC通販コールセンターナビ」。小コールや短期間でもOK!